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【専修大学三浦先生】ボリンジャーのイントネーション論

folder_openアメリカ英語, 三浦先生の英語音声学

昔,ドワイト・ボリンジャー博士という,ドイツ系アメリカ人の言語学者がいました。アメリカの複数の大学で教鞭を執り,1973年に65歳で退官するまでの10年間は,ハーバード大学のロマンス語学(スペイン語)の教授でした。その後もハーバード大学名誉教授として研究を続けられました。

私は大学院生の時に,Bolinger (1972) に出会いました。これはとても有名な論文で,私が読んだ1980年代半ばには,日本でも英語学の研究者で,この論文を知らない人はいなかったと言っても過言ではありません。何と言っても,そのタイトルが魅力的でした。「アクセントは予測できる(もしあなたに人の心が読めるなら)」。カッコイイですね!

このタイトルにある「アクセント」というのは,「文強勢」(文の中の第1強勢,最も強く発音される音節)のことです。この論文が出版された当時は,初期の生成音韻論が注目されていて,強勢が付与される音節(位置)は,文の統語・形態構造によって決まる,という議論(音韻規則)が広まっていました。規則に矛盾があれば,すぐに修正規則が生まれる,という時代でした。

このような風潮に対して,ボリンジャー教授は意味論的な解釈や動詞の性質などの観点から強く反駁しました。Bolinger (1972) の冒頭の例文をご覧ください。アクセントはアクセント記号で示されています。各文 a, b の意味の違いが分かりますか?

(1)

a. George has pláns to leave.

b. George has plans to léave.

(2)

a. Helen left diréctions for George to follow.

b. Helen left directions for George to fóllow.

試しにただいま ChatGPT に尋ねてみましたが,今のところ,アクセントの位置の違いによる意味の区別はできません。(1) は a, b ともに「ジョージは去る計画を持っています」。(2) は a, b ともに「ヘレンはジョージが従うための指示を残しました」,と回答されました。つまり,(1b) と (2a) の訳文が得られました。

ちなみに,当時のアクセント規則を適用すると,(1) と (2) の統語構造の場合,文末の内容語(動詞)にアクセントが付与されて,(1b) と (2b) のアクセントが導かれました。

ボリンジャー教授の意図を汲んで,これらの文を訳すと,以下になると思います。

(1)

a.  ジョージは計画を残していく。

b. ジョージは出かける予定を立てた。

(2)

a.  ヘレンはジョージに(ジョージが従わなければならない)指示を出した。

b. ヘレンはジョージにあとについて来るように指示した。

1970年代から80年代にかけては,イントネーション研究が盛んでした。私がこの論文を読んだ頃には,特に Ladd (1980) の功績もあって,意味だけではなく,幾分音韻論的な説明が付けられていました。「無標」と「有標」,「新情報」と「旧情報」,「広い焦点」と「絞った焦点」,「主題」と「題述」等々,さまざまな観点からイントネーションが論じられていました。

(1a) と (2a) については,「デフォルト・アクセント」(default accent, cf. Ladd, 1980, pp. 81–83) という術語が与えられました。plans という名詞を目的語とする他動詞では,make や leave は最も一般的なものです。directions という名詞を目的語とする他動詞の場合,follow は当たり前であって,敢えて言う必要のないものです。そのため,これらの動詞のアクセントは「アクセント除去」(deaccenting) されて,(1a) と (2a) のように発話されるという説明が支持されました。ボリンジャー教授が提示した課題は,このようにイントネーション研究の発展に大きな貢献をしました。

(1b) と (2b) の場合は,特別な情報を含む動詞なので,強調のための「対比強勢」(contrastive stress) となります。私はこの対比強勢を修士論文のテーマにしました。

ちょうど修士論文を書き始めた頃,Bolinger (1986) が出版されました。彼の50年以上に及ぶ言語学研究とイントネーション観察の総括とも言えるものです。当時最新のイントネーション音韻論の研究成果も踏まえて,イントネーションの構成要素が詳細に論じられました。前付を除いても 421ページに及ぶ大作です。しかも,とても自然な英語で書かれていて,専門用語があまり使われていないので,かえって私には読むのが大変でした。誰か早く翻訳を出してくれないかと,願っていました。

それから38年の歳月が経って,今春,伊達民和先生(プール学院大学名誉教授)の監訳で,ボリンジャー (2024) として,待ちに待った Bolinger (1986) の日本語訳が出版されました。こんな大事業をよくぞ成し遂げてくださったと,一学徒として心からの敬意を表します。この中には,イントネーション研究の課題がたくさん詰まっています。これでますます日本人研究者のイントネーションに関する研究の可能性が広がることと思います。

ボリンジャー教授はアクセントの「プロファイル」(音調線,profile)というものを考案して,イントネーションのパターンはその組み合わせであるとみなしました。「音調線A」, 「音調線B」, 「音調線C」,及びそれらが複合した「音調線CA」,「音調線CB」,「音調線AC」,「音調線CAC」の7つが設定されました。

ロンドン学派の「トーン」(核音調,tone)を中心とするイントネーション句(音調単位)との比較で言うと,ボリンジャー教授の音調線は,頭部も尾部もセットとなってパターン化されています。しかし,同じ1つの音調線にも,ピッチの入りわたりと出わたりの方向が2つとか3つもあります。とにかく正確に観察されています。

音調線末尾の「微下降調」(おそらく,声帯の減衰によるピッチの自然下降)などは,イントネーション音韻論であれば,下降とはみなしません。平板調です。しかし,ボリンジャー教授の目的は,複雑なイントネーションの実態をできる限り記述することにあって,体系化や単純化などは目的としていないようです。彼はあくまでも音声学者であり,音韻論者ではありませんでした。

長年,ロンドン学派の核音調方式が英語教育で用いられ続けているのは,矛盾点には目をつむり,イントネーション現象を理論的枠組みの中に強引に取り込んでいるからです。単純化できたので,教育現場で利用できるのです。しかし,ロンドン学派の核音調方式は初めに理論ありきなので,音韻論的と言えます。

教育現場を除いて,1990年代以降のイントネーション表記は,「トービ」(ToBI, /ˈtoʊbi/, Tones and Break Indices) という,生成音韻論の一派である,「自律分節音韻論」(autosegmental phonology) に基づいた方式が一般化して,定着しました。L (low tone) と H (high tone) を書き込んでいく,あの方式です。言語コーパスの作成でも,会話分析の分野でもトービが用いられています。

しかし,ボリンジャー教授の著作の魅力は,今でも失われていません。彼の鋭敏な聴力と言語的感性による説明には,イントネーション研究の無限の可能性が含まれています。

彼は続けて,Bolinger (1989) を上梓しました。今度は文と談話のレベルで,イントネーションを記述し,考察しました。こちらも470ページの大部となりました。英語の諸方言や英語以外の言語にも触れています。この出版当時,意味論から分派して(諸説あります),1つの研究分野として確立した語用論,特に関連性理論までも早々に応用しています(Bolinger, ibid. pp. 357–360)。私は真っ先にここを読んだことを覚えています。こちらの翻訳書も出版されることを期待します。

ボリンジャー教授は,彼の研究の集大成とも言える,2つの大作,その大きな遺産を残して,その3年後,1992年に天に召されました。

参考文献

Bolinger, Dwight (1972). Accent is predictable (if you’re a mind-reader). Language, 48 (3), 633–644.

Bolinger, Dwight (1986). Intonation and its parts: Melody in spoken English. London: Edward Arnold. (1985, Stanford, CA: Stanford University Press).

Bolinger, Dwight (1989). Intonation and its uses: Melody in grammar and discourse. Stanford, CA: Stanford University Press.

ボリンジャー,ドワイト (2024). 『英語のイントネーション ~話し言葉のメロディー~』(伊達民和監訳).大阪:大阪教育図書.

Ladd, D. Robert (1980). The structure of intonational meaning: Evidence from English. Bloomington, IN: Indiana University Press.

八幡成人 (1981). 「Dwight L. Bolinger ~思想と業績~」.『研修』14, 59–76.島根県立平田高等学校.URL: http://www.team-hacchan.jp/files/201901240019180.pdf

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