【はじめに】
日本では、これまで学校で英語の発音を学びませんでした。
私はセミナーで、よく皆さんが「ため息混じり」でおっしゃるのを
お聴きします。
「なぜ、こんな風に、中学校では英語の発音を教えてくれなかったんですか?」
「大学で中国語を習う時には発音から入るのに、なぜ日本では英語の発音を
教えてくれないんですか?」
では、なぜ英語を学ばせるときに、最初から「通じる英語の発音」を
教えてくれなかったのか。
それにはいろいろな条件が重なっていたと思うのですが、結論として
推察できることがあります。
日本の英語教育には、「発音」に関しての空白期間がごく最近にいたるまで、
数十年存在する、と。
その数十年の間に、発音を指導できる人がいなくなり、
かつ、大学入試で「聞く」「話す」を点数化することが難しく、
英語教育そのものから削除されてしまっていたのでは。
簡単に申し上げると、そういうわけです。
【明治維新前後からの日本の英語教育】
少し調べたことをお伝えさせていただきますね。
江戸時代後期から、人々は海外から様々なものを吸収するため、
自らも英語を英語として学んでおられたようです。
私の音声学の師匠である「西野和子氏/東京女子大学名誉教授」の
著作で1970年に発行された論文がありますが、そちらの中で、
江戸末期の英和辞書として「諳厄利亜語林大成(あんげりあご)」
1862年版が紹介されています。
(*1)
ちなみに西野教授が学生時代に師事したとお聞きしている、ロンドン大学の
ダニエル・ジョーンズ教授(1881-1967)は、のちに国際音声学会の会長に
なられましたが、ジョーンズ教授が音声学を学ばれたのは、フランス人の
ポール・パシー氏(1859-1940)で国際音声学会の創始者です。
「諳厄利亜語林大成(あんげりあご)」には、すでに英語の母音と子音に
分けた音素ごとの単語表もあり、「カタカナ」という音の資源としては
極めて厳しい情報を駆使して、英語の読み方に既存の発音記号と併記し、
なんとか元の音に近い表現をしたい、という熱意を読み取ることができるものです。
しかし、その後、必要な知識や情報が日本語に翻訳されるにつれ、
自らは英語を学ばなくてもよい、という選択もできるようになったようです。
(*4)
その後、明治維新のころは、小学校でも英語教育がなされていました。
ちなみに、NHKの「歴史秘話ヒストリア」という番組で紹介されましたが、
明治維新後、江戸に日本中から人が集まってきて、300もの異なる「お国言葉で」
しゃべっていました。
日本語どうしなのに通じない「お国言葉」をいったいどうしたものかと
悩んだとき、候補のひとつが「いっそ、共通語を英語にしてしまう」だったそう。
(*2)
しかし、一方では前述のジョーンズ式発音教育も取り入れられ始められていた
ようです。それは、大正11年とのこと。
(*3)
その後は多くの方がご存じのように、1940年代の第二次世界大戦では、
日本は「英語」を敵国語として、学ぶことも使うことも禁止しました。
すでに創設されていた日本のミッション系の各大学も、その影響を受け、
東京女子大学の白いチャペルが迷彩色に塗られてしまったのも、
そのころのこと。
当時の様子は、柳田邦夫原作のNHKドラマ「マリコ」(1981年)でも
伺い知ることができます。
第二次世界大戦後の日本における英語教育についてですが、
明治時代のように、小学校においては英語教育はなされませんでした。
中学校は昭和22年に義務教育となり、指導要領が改定されたのが
昭和26年で、外国語の科目は事実上、英語で選択科目となりました。
昭和40年代後半では、中学校の英語の先生方の間で、発音に関しては
すでに大きな格差があったと記憶をしています。
おそらく、明治から大正、昭和となる過程で、英語の教科書はあったものの、
確固たる「外国語学習における発音指導のスタンダード」は、
存在しなかったと思われます。
それに加えて、戦時中の中断、昭和における大学入試問題の中に
発音の問題がほとんどなかったこと、などから「発音指導」は長い間
置き去りにされ続け、一部を除いて指導者さえ輩出されなくなった、
というのが実際の状況であったと思います。
【教育現場における発音指導の経緯】
それと同時に、「英語らしい発音で話す人」は教育現場では敬遠され、
1970年代後半においても、進学校の英語の授業の中で、「英語らしい発音」を
することは、逆にタブー視されていたことを記しておきたいと思います。
ご経験のある方もいらっしゃることと思いますが、学校現場においても、
帰国子女のネイティブに近い英語は、なぜかいじめの対象となり、
外見からも、明らかに英語ネイティブだろう、と思われる海外生さえもが、
英語の授業中、カタカナ英語でリーディングをするのを聞いたときに、
「何かがとても間違っている」と感じたのは、2000年になってからの
ことでした。
つくば市において、私は1988年に「発音重視の英会話スクール」として
事業を立ち上げました。
そして、発音判定エンジンの開発を目指して「発音指導」を本格的に
開始した2004年ごろのことでしたが、筑波大学の英語専攻の大学院生が
発音指導を受講に来ていました。
彼らには、基本的な音声学から教えたのでしたが、聞くところによると、
当時、大学には音声学の講座がない、ということでした。
さらに2015年ごろでしたが、やはり音声学を教える先生がいない、
ということで筑波大学の大学院にてセミナーをさせていただき、
他県からも受講したい先生方が来られていたことはまだ記憶に
新しいことです。
理論言語学は存在していたが、解決策という意味での、いわゆる
Applied Linguistics (応用言語学)がない、という意味であったか
どうかについては定かではありませんので、関係者の方で
お気を悪くされておられる方がいらっしゃいましたら、
お許しください。
また、発表された先生のお名前を記憶していないので、大変恐縮ですが、
上記を裏付けるような発表をお聴きしたことがあります。
日本音声学会において、日本国内における「音声学」を学べるところが
少なく、国内の教育分野全シラバスの中でもほとんどなくなっている、と、
その発表者は危惧されておられましたが、2021年現在は、どのように
なっているのかは、私自身では調査できておりません。
つまり、まとめるとこういうことになるでしょう。
- 一旦、話す英語を重視しなくなってしまった
- 戦争もあり、英語そのものを禁じられた
- 義務教育での英語は「学力を試す」ために存在した
- 発音の指導者を育てず、また、需要も少ないため育たなかった
- 日本人は、自分と異なるものに対する耐性があまりない
【最近の英語教育と発音指導の動向】
そしてその後、日本では、
1987年(昭和62年)にJETプログラムが開始されました。
日本の英語教育を充実させることを目的の一つとしてのことでした。
そのうちの90%以上の参加者が、ALT(学校における英語の補助教員)の
先生となります。
(*5)
弊社も当時は英会話スクールでしたので、ALTの教員を派遣する業者の
一つとして名乗りを上げました。
弊社がまとめた小学生の英語授業への提案内容として、資料の中に、
ALTと連携をして、「発音にも意識を持たせる」という内容を
盛り込んでいましたが、当時の「教育要綱」の中に「発音を含むスキルは
教えない」と明記されていたため、審査員から「あなたは要綱を読んで
いますか?」と質問され、あえなく不合格となりました。
それでも、英語教育には、絶対に発音指導は不可欠という信念のもとに、
2005年に株式会社プロンテストを立ち上げ、発音指導に特化した
研究開発を開始することになりました。
2011年には、茨城県の全公立中学校にて弊社の「発音検定ジュニア」、
発音判定・練習用ソフトで現在は「プロンテストコールジュニア」を
ご採用いただいたことは、弊社にとっても、おそらくその後の
英語教育にとっても、少し意義のあったことではなかったかと自負しております。
また、同時に世の中も少しずつ「スピーキングとリスニング」を
重視する方向に動き始めた陰には、2020年のオリンピック招致決定も
少なからず影響を与えたのではないかと思います。
【今後の課題】
そして、
小学校で英語教育が再開されたのは2013年のことです。
最後に、小中学校に派遣されているALTの教師について、少し
補足しておきたいと思います。
日本の英語教育の頼みの綱のような、ALTの先生たちも経歴は様々です。
ここには、あまり深くは記述しませんが、教えるという資格や経験だけでも
様々な課題があるようです。
また、2015年では
全ALT教師の中の90%近くがいわゆる「英語を母国語とする国」、
すなわち英・米・オーストラリア・カナダ・ニュージーランドなど、
であったところが、2019年ではその割合は激減しています。
このブログの中で、明治維新直後の日本の状態について書いたことを
思い出してください。
日本国内でも、様々な訛り(発音などの違いがある)によって
お互いに通じなかった日本語が存在しました。
多様性のある国籍の先生方が教えてくださることは大歓迎したいと
思います。
しかし、それには条件があります。
日本語を母国語とする子供たちに英語を与えるとき、
つまり、「英語の発音」をインプットするときには、ほかの言語のクセは
インプットすべきではない、と強く考えています。
英語を母国語として話す国々(英・米・カナダ・オーストラリアなど)の
先生たちと協力して、日本人であって英語らしい発音を習得した先生たちに
子供たちの最初の英語教育をお願いしたいのです。
なぜなら、「英語の方言」からも逸脱する他の言語のクセを「英語の音」だと
信じて習得してほしくないからです。
そのかわり、「英語としての発音」を学び、定着させたあとには、
その英語のアウトプットの相手として、世界中から来られている先生と
「英語によるコミュニケーション」を思いきり楽しんでほしいと
思っています。
日本の英語教育の課題は、これから何年かの間に、さらに明らかに
なっていくとともに、きっと、「外国語を学ぶ最善の方法」が
必ず確立されることと思いますし、私たちはそこに向けて尽力を
惜しまないつもりです!
株式会社プロンテスト 代表取締役
一般社団法人 国際発音検定協会 代表理事
奥村真知
参考資料:
*1 「日本における英語研究史」 西野和子 東京女子大学名誉教授
論文中に引用されている
東京女子大学学術情報ディポジトリ
*2 歴史秘話ヒストリア(NHK)
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/293.html
*3 「日本における英語教育の歴史と現状の課題」
投野由紀夫教授(東京学芸大学)
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/corpuskun/pdf/2017/tefl_lecture01.pdf
*4「日本における英語教育」 ヴァルガ・アグネス
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/files/public/3/38682/20151225144304227111/ReportJTP_30_136.pdf
*5 JET プログラム
http://jetprogramme.org/ja/history/